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昨年末(2013年)から今年にかけて基準を持つということについて少し考えさせられました。
ソバ(切り)の味に関してのことです。 昨年末に久しぶりに訪れた大阪は谷町6丁目の“蔦屋”で本当に美味しいと思えるソバ(切り)に出会えました。 もちろんそれまでにも “蔦屋”に限らず、美味しいと思って食べていたソバ(切り)はありました。けれど、いつも、こころの片隅には何かが足りない。本当においしいソバ(切り)とはどこかが違う、という不足感があったのです。 それは一つには自分の欠陥(たぶんそうなのでしょう)である嗅覚の問題からきているのだと思い込んでいました。だれもがソバ(切り)を食して口にする「ソバの香り」というものをソバ(切り)を食べる際に実感したことがないのです。 蕎麦打ちのまねごとをした際、水回しのときのむせるかえるように立ちあがるそばの香りは、こんなわたしでもわかります。しかし、いざ食するとなるとそれが感じられないのです。そこが不足感の原因でした。 しかし、今回の“蔦屋”ではいわゆるそばの香りを実感できた訳ではないのですが、なんの不足感もなく美味しいと実感できたのです。 これだ!これを今後ソバ(切り)を食する際の基準にすればいいのだと考えました。 ソバに限らず、こと食べ物に関しては一番といわれるものは可能な限り食したいと思ってきました。なにもそれを自慢したいからではなく、それが自分の中の味の基準づくりだと思っていたのです。 基準を持てば、色んなモノがはっきりと、しかも何のブレもなく見えてくるのではないかと。 年明けの2014年1月3日、奈良の“玄”でソバ(切り)をいただいたとき、そのことを実感し、確信できたのです。
by z20070715
| 2014-01-05 06:20
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